毛蟹

蟹がやってきた。土曜の朝八時に呼びリンに起こされ、ガウンを纏って玄関に出てみれば、ずっしりと重い毛蟹が待っていた。

北海道に住む、宮脇研究室の元同期が送ってくれたのだ。内法21×30センチの発泡スチロールの容器に、まるであつらえたようにピッタリと二匹納まっている。

甲羅の大きさだけでも横10センチ、縦11.5センチはある。手で甲羅を掴むと、大きな鋏をキィと後ろに振り上げる。すこぶる元気でよいのだが、図体がでかいだけに少々焦った。持ち上げてみると、見た目よりズッしりと重い。嬉しさが身体中を駆けめぐる。


それにしても、蟹を食べるのは丁度1年ぶりになる。年に1~2度しか食べないものや食べられない物はそれなりにけっこうあるものだが、去年蟹を食べた時は本当に、当分蟹はいいや、と思ったのを思い出した。


去年の11月末。ボスの葬儀が終わってからまだ1ヶ月程だったが、我々は予定どおり、京都府の網野町に向け、2台の車を深夜の東名に走らせていた。

宮脇研究室の現役、OBあわせて7名。現地で合流する者をあわせると総勢11名のグループとなる。宮脇檀建築研究室の設計による増改築をこの春終えたばかりのかっぽう旅館『万助楼』の見学会と日本海の幸を食べるというツアーだったが、どちらが主かは全員わかっていた。


天橋立、さらに伊根の舟屋に立ち寄ったのち、丹後半島の外輪を走り、時に近く時に眼下に広がる日本海を堪能しつつ、午後4時過ぎ『万助楼』に到着した。さらりと見学をすませ、2階にある古代檜を使った風呂場からまたまた日本海を眺めつつ、旅のつかれを癒す。
そして・・・。


洗いに始まり、茹で蟹、焼き蟹、甲羅と続く。ここまでは全て活き蟹。洗いはあまりの鮮度の良さに身が米粒状に弾け、食す者に感動とほのかな甘みを与えてくれる。早くも驚嘆の声を上げている仲間を後目に、わたしは全神経を集中して身をかき集める。開口健が云うように、蟹は《チビチビやっていたのでは部分も全容もわからない》のである。が、三~四本分も溜まったところで、もうどうにも我慢できず、えいやとばかりに食べてしまう。すると、あまりの感激に目頭の奥が熱くなり、つづいて無言のまま東京から運んできた、かぎろひの千寿をひと口呑む。言葉にならない塊のような呻きが自然とこみ上げてきた。


焼き蟹も最高である。ことに座卓の端でまかないさんが直火でパチパチ焙ってくれるやつは。その完璧なまでのミディアムレアの太股は甘みと旨味の両方を兼ね備え、茹で蟹とはまた違う別世界へとわたしたちを運んでくれた。

実際、焼き蟹を食べたのはこの時が初めてではなかっただろうか。最後の蟹鍋が始まった頃にはすでに何人かの腹は満たされており、仕上げの雑炊を前にほぼ全員ノックアウト状態であった。こんな幸せなこと年に二度もあったらバチが当たると皆で云いあったものだ。

 


問題は調理法だけだった。一匹目は茹で上げるとして、二匹目をどうするかである。焼くか?蒸すか?それとももう一度茹でるか?

蟹と一緒に送られてきた案内には、茹で上げが一番と書いてある。浜茹でが一番、などとよく云われることなどからも、それがベターなのだろう。
しかし・・、こんな機会は滅多にあるもんじゃない。実験を兼ねて、他の方法で食べてみたいじゃないですか。

結局、二匹目は蒸すことにした。先々週の蒸し会で、あらためて蒸しもののおいしさ合理性を再確認したからでもあったが、やはり未知への冒険心が押さえられなかったからだ。そしてこれが大当たりなのであった。

明らかに茹で蟹より旨い。ひと口食べた時の感激、あの言葉にならぬ呻き声のようなものが再びこみ上げてきた。身の繊維一本一本までもがぷくぷくとしていて、味わいをまったく壊していない。これに比べると茹で蟹の身は少々水っぽさが残る。

もちろん、茹で蟹も充分おいしかったし、茹で方に善し悪しもあるのだろうが・・・。


考えてみるに、ドラム缶の中に湯を沸かし、その中にガランガランと水揚げされたばかりの蟹を素早く入れていく浜茹でというのは、いかにも荒れ狂う冬の海に出ていく男のように豪快ではあるが、それと同時に浜で行う作業としては簡単であったというのも事実なのではないだろうか。すくなくとも浜で蒸すことよりは・・。


しかし、しかし、本当に感激したのは、実はみそなのであった。以前から、蟹みそが旨いことは百も承知しているのだが、これほどのものとは。なんと表現したらいいか・・・と、思いあぐねていると、特別招待した宮脇研究室時代の先輩が云った。

「まさに海そのものだな」

そう、それです!わたしが云いたかったのは!
ほとんどウニの様であり、甲羅についているよくわからない白いのやピンクがかったのを、全部いっしょくたんに汁とともに口に運べば、複雑で奥行きがあり、それはもう『海』としか云いようのないものであった。

翌朝起きてみると、妙に指先が痛かった。よく見ると無数のひっかき傷のようなものがついている。昨夜は夢中で食べていたためまったく気がつかなかったが、それは毛蟹の仕業によるものらしかった。わたしはすくなくともこの傷が残っているうちは、昨夜の味を忘れないだろうな、と思った。

 

 

 

 

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