たけのこ

自分で卓上カレンダーを作るようになってもう6年になる。以前は年末にいただく企業の物をずっと使っていたのだが、宮脇檀建築研究室の退社とともに誰も持ってきてくれなくなった。貰えないなら買えばよいだけの話しなのだが、これがなかなか難しい。わたし好みのシンプルで美しく書き込みしやすいものがありそうで無い。仕方なくケースだけ再利用し、中身のカレンダーは自分でつくることにしたのだ。


1月から12月まで、おのおのの季節を感じさせる色紙や和紙にパソコンで入力した日付をプリントする。どんな紙をどの月にするか、毎年小さな楽しい悩みがあるが1月だけは毎年決まっている。まっ白な表面に金箔銀箔が散りばめられたもみ紙にしている。


日付と一緒に24の節気を入れるようにしている。ついでに酉の市も入れておく。些細なことだが、自分で調べ自分でカレンダーに書き込んでおくと、小さな棘のように心のどこかに引っかかりを残しておくことができる。啓蟄や芒種などの文字を見ると、日々コンクリートの中で過ごしながらも瞬間季節感を取り戻せるような気がするのだ。
残念ながらわたしが心待ちにしている山菜の若芽やたけのこが顔を出す言葉はない。「新芽」や「筍出」というのがあれば楽しいのに・・。

4月の終わりから5月にかけて栃木県那須にある郡ちゃん家にたけのこ掘りによく行った。ここ数年は諸事情によりご無沙汰しているが、毎年トランクいっぱいのたけのこを持って東京に帰ってきたものだ。なにせ郡ちゃんは山ひとつ持っており、その大半は竹林。彼女ひとりでは管理も行きとどかず荒れ放題の状態。


「いっぱい採ってきてね」


もうこれ以上増やしたく彼女と探し出し採る快感を覚えたわたしたちとの思惑は一致し、結果、芋掘りや鯖釣りのごとく大量のたけのこを掘り出すことになる。
ある時は、たけのこばかりでなく成長した竹自体を切り出したこともある。直径10センチ前後の竹を何十と山の下まで運び出すのはそれなりに労力だが嫌なはずもない。

ひと仕事終えた後、庭先で揚げたての山菜を摘みながらのビールはこの上なく旨い。


晩に食べる分のたけのこは早くも郡ちゃんが茹ではじめているが、その場で食べるなら蒸し焼きがおいしい。火をくべた釜戸に焼き芋のように皮付きのたけのこを放り投げる。


皮の焦げる匂い、薪の弾ける音、立ちのぼる白い煙。


取り出した時の期待感はなんともいえない。皮を剥いて剥いて、こんなに剥いていいのかと思うほど剥いて、ようやく顔を出した先っぽを喰いちぎる。

想像していたより柔らかい。旨味が凝縮した感じ。えぐみもあるがまたそこがいい。


山の夕暮れは早い。気がつくと冷たい風が吹き始めていた。釜戸の熱気に包まれながら、いましばらくは動きたくなかった。

 

 

 

 

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