フェデリーニ
夏休みも終わりだというのにジャニーズショップは相も変わらず大行列を成している。ここ原宿は若者の街といわれるだけあって旨い店が非常に少ない。そりゃそうだ。彼女たちの関心はアイドルや服飾であって食ではない。行列のできる飲食店といえばクレープ屋かピザ屋くらいのものである。大通りに面した店はほぼ例外なく再訪する気にはなれず「昼」を考える度、悩んでしまう。
春にオープンした表参道ヒルズまで行けば少しはまともな店があるのだろうが、いまだ観光客で溢れかえっているし、値段も高めなので毎日の昼食に使うわけにもいかない。
都心でありながら、そんな絶望的な食環境の原宿界隈にあっても、2つ3つはお気に入りがある。そのうちの一店が『632』である。
3層分の吹抜、中庭に面した大きな開口部、枕木風の荒々しい床材。建築的にも好感が持てるが、焼きたてのパンがこの店一番のウリだ。
ランチでは数種類のパンを何度でもおかわりできるのが嬉しい。最近改装して少しシステムが変わったようだがおいしいパンは健在だ。
ある時、この店で不思議なことに気がついた。
店内に、圧倒的に若い女性が多いことは当然だが、彼女たちのほとんどがスパゲティを食べている。他にも魅力的なランチメニュウはあると思うのだが、誰もかれもがスパゲティ。
しかし驚いたのはそのことではない。その食べ方だった。彼女たちのほとんどがフォークとスプーンを使って食べているのである。
左手に持ったスプーンの中でフォークを回しスパゲティを絡めとっていく・・。
最初見たとき、まだこんな食べ方をしてる人がいるのか・・、と噴き出しそうになったが、見る人見る人みな同じ食べ方をしてるのに遭遇すると笑えるどころではなくなってきた。
むかし、わたしがまだ小学生だった頃、洋食と共に供されるライスは平たいプレートに盛られ、みなフォークとナイフを使って食べていた。まだパスタという言葉は世間に定着しておらず、スパゲティといえばナポリタンかミートソースの時代である。
大人たちは誰もがちょっと気取ってフォークの背にナイフでライスを載せていたものだ。いつしか、それは西欧文化に対する幻影で、そんな不合理な食べ方をしているのは日本人だけだと知り、瞬く間に消滅していった。
フォークとスプーンでスパゲティを食べる彼女たちはそんな時代があったことなど知る由もないだろう。伊丹十三作品の『たんぽぽ』も見たことがないのだろう。
もしその食べ方がやはり日本だけだと知ったら彼女たちはどうするのか・・。
いや、こちらは日本人だけではないかもしれない。台湾や中国の人たちは温かいヌードルを食べる時、必ず麺をスプーンに載せそのまま口に運ぶ。だからアジア的な食べ方なのかもしれない。それに、フォークの背にライスを載せるよりはよほど合理的でもある。
ひょっとすると彼女たちのひとりはこう云うかもしれない。
「スパゲティも茹でられないオトコにとやかく云われたくないわよ!」
そう、わたしはスパゲティをアルデンテに茹で上げることができない。ソースは作るが茹でるのはもっぱら相棒の仕事である。時間を気にしながら何度もチェックするが、硬過ぎか大抵は茹で過ぎだ。
一本つまみ上げ食べてみる。全然硬い。食べる。硬い。食べる。もうちょい。ソースをかき混ぜるてから食べる。あぁ! 茹だり過ぎ。。
何度やってもうまくできない。
知り合いの建築構造家である大塚さんは云う。
「料理はまったくしませんが、茹でるのだけは僕がします」
それもひとつの才能だと思う。そしてわたしにはその才能が無い。